僕と、僕以外。

僕はそのうち無くなるが、

ここは、

暫くここに居る。

2025年 5月4日

ここ暫く、毎日高曇。


高曇りの空から、時々夏の陽射しがさす。毎日ほぼ何もせずボオッと生きている。心から人ごみが苦手なので、この時期は、ほぼずうっと家にいる。


夕方犬と散歩に出る。最近は長い散歩に出る=なる。阿武隈橋の脇から堤防に出て、ずうっと西に向かい、常磐線にぶつかって下に降り、おお、ここは本当にしばらくぶりだの、食堂オオヒトの脇を通り、土屋先生の作品を道路から暫く眺め、製紙工場に入る引き込み線を渡って直ぐ左に折れ、4号線下のトンネルを潜って産業道路を通って帰宅。

それにしても、土屋先生の裸婦の作品が、岩沼に少なくとも2体あるのは何故なのか。そして、そのうちの1体が飾ってある、市役所で聞いても、誰も何も分からない=知らないのは、何故なのか。


とは言え、公共に展示されている美術作品は、そもそもそういうものなのか。教育大を出て美術館職員を経験してきた爺さんとしては、なんとも、一体どうしたもんなの?である。前に、仙台市内にある彫刻を見る会に呼ばれて、お話をしたことがあったが、最近は、トントその様な話を/も聞かない。


ま、そもそも、美術作品なんか、各自好きに見れば良いわけで、それをめぐる話なんて、どうでもいいわけだが、ここ、この歳になると、作品そのものをめぐるお話ではなく、何故それがその様に其処にあるのかということを誰も知らないという、まるで、ミステリー物語の様な鑑賞というのを楽しめる。いやはや。今更だが、美術は、そういうものだったのだ。


地球の上に居る。

其処は宇宙の極一部だ。

自覚し自戒したい。


2025年 4月24日

高曇りの空から、薄陽がさす。生暖かい。


先週の水曜日の昼前に、昔の友達の京子ちゃんから、今、(小学校の3年生の時の同級会をやってるるから)竹駒神社の新しいお休み所に来れる?という電話があった。ううむ。もうこの歳になれば、ほとんど、今急がしいからいけないということは無くなるから、急いで靴を履いて出かけた。ありがたい。


暫く前、小学校の時の友達だったみんなで、僕の家に来て、その話が出て、その時は僕の家に来て良いよと言ってあったのだが、そうは言っても、突然人の家に行って、みんなでお茶を飲むというのはどうかと、それは思うよな。思わないのは僕だけだろう、多分。そういうわけで今日、電話が来た。


僕の家から竹駒神社までは歩いて5分もかからない。新しくできたお休み所の端っこのテーブルに、女の人達が4人いて、サイくんここここと手を振っていた。でも、暫くぶりに会っても、すぐに誰が誰かわかるもんなんだなあと、不思議な気がした。突然皆んな小学校3年生。

ウエイトレスが、メニュウを持って来て、僕は軽い昼飯を頼んだ。その後、駐車場の北側の喫茶店に席を移して、暫く皆んなで珈琲を飲んだ。


僕は、こういう時の話題に疎い。思えば、岩沼小学校を出ると、そのまま僕は母の出身校であった仙台の五橋中学校に行き、その後仙台一高、宮城教育大学と、ずうっと仙台に(列車や)汽車通学をしており、大学を出るとすぐニュウヨークに(生まれて初めて乗った飛行機が、ニュウヨーク行きーホノルル、ロサンゼルス経由ーだった)行き、帰国するとこれまたそのまま直ぐ宮城県美術館で働き、だったから、地元のみんなとは本当に暫くご無沙汰だったのだ。

こういうふうに改めて書き出すと、一体、僕は何をしていたのだろう、ま、確かにとにかくずうっと、僕には息注ぐ間も無く面白い毎日ではあったのだが。でも、皆んなと共通する話題は本当にほぼ皆無。大体こういうふうに振り返ることが、思えばほぼ初めて。いやはや。そうか、そういう人生だったのだ。