僕と、僕以外。
僕はそのうち無くなるが、
ここは、
暫くここに居る。
2025年 5月4日
ここ暫く、毎日高曇。
高曇りの空から、時々夏の陽射しがさす。毎日ほぼ何もせずボオッと生きている。心から人ごみが苦手なので、この時期は、ほぼずうっと家にいる。
夕方犬と散歩に出る。最近は長い散歩に出る=なる。阿武隈橋の脇から堤防に出て、ずうっと西に向かい、常磐線にぶつかって下に降り、おお、ここは本当にしばらくぶりだの、食堂オオヒトの脇を通り、土屋先生の作品を道路から暫く眺め、製紙工場に入る引き込み線を渡って直ぐ左に折れ、4号線下のトンネルを潜って産業道路を通って帰宅。
それにしても、土屋先生の裸婦の作品が、岩沼に少なくとも2体あるのは何故なのか。そして、そのうちの1体が飾ってある、市役所で聞いても、誰も何も分からない=知らないのは、何故なのか。
とは言え、公共に展示されている美術作品は、そもそもそういうものなのか。教育大を出て美術館職員を経験してきた爺さんとしては、なんとも、一体どうしたもんなの?である。前に、仙台市内にある彫刻を見る会に呼ばれて、お話をしたことがあったが、最近は、トントその様な話を/も聞かない。
ま、そもそも、美術作品なんか、各自好きに見れば良いわけで、それをめぐる話なんて、どうでもいいわけだが、ここ、この歳になると、作品そのものをめぐるお話ではなく、何故それがその様に其処にあるのかということを誰も知らないという、まるで、ミステリー物語の様な鑑賞というのを楽しめる。いやはや。今更だが、美術は、そういうものだったのだ。